「富士蹴球塾」から「富士リーダー塾」へ改名
富士山がなぜ美しいのか?
東海道新幹線からの富士山改名の理由は、「富士ラグビー塾」「富士大工塾」なら関心はあるがどうも足を運びにくい。専門端を越えて、指導者とは何なのか?リーダーとは何なのか?親とは?人の上に立つとはどういう事なのか?自問自答できる塾でありたいと願っている。だから、改名させて頂く。
なぜ?富士山は美しいのか?
「すそ野が広いから。」美しさとは、何度見ても飽きないという意味を含んでいる。
すそ野の広い富士山のような人間でありたい。
もし、富士山型のリーダーが増えれば、リストカットをする生徒も減る、サッカーをやらされている選手も減る、プロアマ問わず選手が活き活きとする、立場的に弱者の人間の閉塞感がなくなる、子供の強い主体性が養われる。指導者が変われば、子供、学生、選手が変わる。
2011年3月11日、六甲アイランドにいた。
あの日を境に、このままではいけない、変化を起こさなければいけないと感じている人は多いのではないだろうか。しかし、たかが1人の人生です。
「人の体験を耳にして感じ、想像し、人の分まで生きる事ができれば、それは素晴らしい事だと思いませんか?」
自分の体験だけでは、大した事ありません。人生には限りがあります。人の生き様、人の理念、人の目指す方向性に触れ、自分の生き方また自分の指導スタイルを見直したい。私はそう考えている。
富士山型のリーダーを求めて
富士山型とは、専門端を越えたという意味である。今回の大震災の解説として、専門家と言われる人が登場する。しかし、専門家の話は素人にはよくわからない。難しいことを簡単に説明するセンスがない。それは、専門的な研究しかしていないからである。
生徒も、こどもも、学生も、プロ選手も、難しいことを難しく表現されてもわからない。また、簡単な事を難しくされたら、なお困る。簡単な事を簡単に話をする事は誰にでもできる。それは、ワイドショーで聞いた事を、そのまま話しているような人である。
難しい事を、簡単に伝える事が大切な事である。
専門家が研究の成果を生かし、大衆にわかりやすく表現できるようになるには、専門端を越えて、人間とはどういう生き物なのか、たくさんの体験を通して学ばなければいけない。
つまり、専門端を越えた、富士山型のリーダーになることが不可欠である。
富士山型のリーダーは机上の空論ではいけません。
実際に体験を通して、学んだ事のある方々の話に耳を傾けませんか。
フォーラム形式ですすめたいと考えています。
2011−4ー14 景



不戦敗